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  • 日章新聞

【記者のつぶやき】令和4年2月3日

「国民はバカ」「日本はもう終わっている」

このような言論は昔からよく見られたという話を聞く。私自身は若輩者のため、昔のことの詳細は文献や色々な方の話を聞くことでしかわからない。それでも、直近の衆議院議員選挙でもこのような言論があったことは読者の皆様ならご存じのことだろう。

そこの団体に限らず、このような言論に走るわけを考えたい。このような言論を表立ってするのは、支持を大々的に得られていない団体に多いのではないだろうか。自分たちがしていることが全て正しいと思うから、それに賛同しない人は「おかしい」という結論に至るのではないだろうか。あくまで推測であることを御承知いただきたい。

政治の世界でいえば、このような発言をする人に政治を任せることは難しいのではないだろうか。「国民はバカ」という言論は「どの国の国民と比べてバカ」なのか「バカというデータはあるのか」という疑問が沸く。政治の世界について詳細まではわからない。

しかし、多くの国民・住民を納得させるにはそれを実現させる必要があるという「データ」「論理」が必要になるだろう。

例えば、A駅とB駅を市役所を経由して繋ぐコミュニティバスを作るとする。A駅から市役所を利用する人、そこからB駅へ移動する人が実際にどれくらいいるのかという「データ」があれば、単なる税金の無駄遣いではないという証明ができる。そうすれば、住民も納得できる。

その一方で前述のような「国民はバカ」というデータを具体的に示すことのできない人物が政治家になった時に、同じような案件でデータを示して住民を納得させることができるのだろうか。一事が万事という言葉もある。納得させることはできないのではないか。

では、これらの発言を撤回すればよいのだろうか。そうすれば発言した内容はなかったことにできるのだろうか。

実はコミュニケーション学の世界では、このようなことの研究も進んでいる。発言した内容は取り消せても、発言したという事実は取り消せないという考え方をダニエル・ブーニューは指摘している。

つまり、発言を撤回しようとも、発言をしたという事実が消えることはない。国民を馬鹿にした言動をしたという事実は一切消えないのだ。発言をしたという「データ」が残る。

やはり、国民を馬鹿にするような人物は、国民を納得させる政治ができないのではないだろうか。

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