政治運動の中には、本来の目的を見失い、組織が存在すること自体が目的となる団体が存在する。これをドイツの社会学者であるマックス・ウェーバーは「官僚制」として『経済と社会』の中で議論した。
この官僚制は、本来の目的である目的を外れ、組織の維持が目標となることを示す。官僚が天下り先を確保することが正にその例である。政治運動に関してもそうである。本来の目的であったことに失敗、目標の達成が停滞すると、その組織の維持が目標に転じたり、新たに別の目標を設定するのだ。
そうした組織は、組織としての初心を忘れて迷走することになる。その結果、新たに設定した目標を満たすこともできなくなるのだ。本来解決するべき課題が解決しない現状は、この官僚制が関係しているのではないか。
例えば「竹島の日」は最もたる例である。政府は政務官を竹島の式典に出席させ「竹島の日」の維持に固執している。本来であれば、竹島の日というものはなくす必要のある日だ。「竹島を奪還する」という目標が転じて「竹島の日の維持」「政務官の派遣」が目標となっているのである。拉致問題なども同様だ。ブルーリボンを掲げることが目標になってしまう。
こうした迷走から脱出し、運動の原点に立ち返って行動するべきではないだろうか。
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