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武蔵野市住民投票条例はなぜ反対運動が盛り上がったのか

昨年の一一月から一二月にかけて、一八歳以上の外国人にも日本人と同じ条件で住民投票の権利を認める住民投票条例が武蔵野市議会の議題に上がった。多くの保守・右派系の活動、中立派市議の反対によって制定の危機を免れた。

議題となった武蔵野市住民投票条例と同じ条件の条例案は神奈川県逗子市、大阪府豊中市でも制定されている。しかし、逗子・豊中の両市ともに大きな混乱はなかったとの報道がある。

ここから、武蔵野市住民投票条例のみが突出して話題になっているということが分かる。

なぜ、ここまで武蔵野市の住民投票条例だけが話題に上がったのだろうか。

最初に、武蔵野市住民投票条例について報道したのは産経新聞だ。産経新聞は保守・右派との親和性が高い。今回武蔵野市住民投票条例に反対した方々は保守政党を自認する「日本第一党」「新党くにもり」や愛国政党を自認する「日本国民党」のほか、「日本を愛する者たちが集まって作った」という「はやぶさ党」、自民党の中でも保守系とされる和田政宗参議院議員などであった。活動に動いた方や党・事務所の関係者の方が産経新聞を購読している可能性は十分に考えられる。

新聞の報道だけでは、ここまでの事態に発展しなかったと考える。逗子市の住民投票条例制定は平成一八年三月で、当時の新聞購読部数は現在よりも多い。産経新聞そのものに限らずとも、一般紙は令和三年と比較して約一七〇万部減少している。新聞だけで話題になるのであれば、平成一八年当時も話題になっているだろう。

平成一八年に比較して大規模に発展したのはインターネットだ。平成一九年度のパーソナルコンピューター出荷台数は約九三〇万台、令和二年度は約一二〇八万台だ。平成一八年当時は現在月間アクティブユーザーが四五〇〇万ユーザーもいる短文投稿サイト「ツイッター」もなかった。

「ツイッター」の拡散機能は手軽なために活用されている。武蔵野市住民投票条例は気軽に拡散が可能なインターネットの機能を活用した一時的な社会現象が発展したものではないかと考えられる。

しかし「100日後に死ぬワニ」はインターネット上の社会現象に留まった。武蔵野市住民投票条例では「日本第一党」「はやぶさ党」の両党がデモ行進を実施している。和田正宗参議院議員や「日本国民党」は街頭演説会を実施している。若手活動家の九十九晃氏は松下玲子市長の自宅前で街頭演説会を実施した。このような街頭活動までに発展した理由はなぜなのだろうか。


(蔵持明)

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