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執筆者の写真日章新聞

日本第一党 結党大会から6年

2月26日で日本第一党(桜井誠党首)が結党大会を実施してから6年となった。


平成29年の結党当初は1402人の党員がいた。同年の東京都議会議員選挙では初の公認候補となる岡村幹雄氏(現・はやぶさ党代表)を八王子市選挙区で擁立、落選。


翌30年は党員数が1052人に減少。


平成31年には統一地方選挙に12人の公認候補者を擁立し、いずれも落選した。この年の党員数は946人と初めて1000人を割ることになった。


令和2年には初の所属議員となる原田陽子氏(現・一陽会代表)が那珂市議選で当選したが、同年離党。東京都知事選挙に桜井誠党首が出馬し、その影響を受けて党員数は1612人に増加する。


令和3年には、衆議院議員に桜井誠党首、中村和弘幹事長、堀切笹美副党首、岡村幹雄副幹事長、先崎玲副党首を擁立。全員が落選した。選挙後、岡村氏が離党する。


令和4年には、参議院議員選挙に10名を擁立。全国比例に挑戦するも大敗した。


日本第一党の現状は、国政選挙や注目度の高い選挙に候補者を擁立することで党そのものの知名度は上昇した。その一方で党内における組織体制の不十分な点を追及されることや、桜井党首の中核派関係者への金銭援助などの不祥事が目立つ点である。


知名度の向上と裏腹に党の支持率が低下しているのも現状の課題だ。党員数は令和二年には上昇傾向に転じたものの、全国的な得票数は衆議院議員比例や参議院議員選挙の得票数を見れば減少に転じている。


結党から6年で主だった結果が出ていないのも問題だ。プロ野球の世界で言えば6年間一軍で活躍していない場合、戦力外通告を受けることも充分にあり得る。プロ野球と政治は世界そのものは異なるが、結果が求められる段階になっているのは事実だ。結党当初の愛国政党として、支持を拡大できるかどうかは党としてのターニングポイントになるだろう。


※党員数はすべて総務省によって公開されている政治資金収支報告書によるもの。令和3年以降は政治資金収支報告書が公表されていないので党員数を記載していない。


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