神奈川新聞社川崎総局編集委員の石橋学記者が4日、神奈川新聞デジタルサイト「カナロコ」に「NHK党候補の選挙運動でヘイト言動 殴りかかる支持者も」と題して記事を掲載した。(写真=数寄屋橋交差点で取材活動をおこなう石橋記者)
記事の内容は、3日に数寄屋橋交差点でおこなわれたNHK党全国比例・西村ひとし候補の街頭演説会において、西村氏や支持者が「カウンター」に対して「ヘイトスピーチ」をおこなったとするものだった。
実際に支持者とカウンターが一触即発の状況になり、警察が介入したことは事実だ。石橋氏は「差別と暴力という政党としてあり得ない蛮行が、公平公正さが求められる選挙で繰り広げられた」と指摘した。(写真=カウンターと支持者が詰め合う様子)
石橋氏の記事を読む限り「カウンター」以外に対してのヘイトスピーチについての指摘はされていない。石橋氏の指摘する「差別と暴力」は「カウンター」がいなければ発生しなかったことになるのではないか。
「カウンター」の存在そのものについても考えていきたい。有権者が候補者に対して自由に意見を発信するのは有権者としての権利として必要だ。その一方で、その候補者に対して敵対心を向け、候補者をプラカードなどで煽る行為は果たして本当に「差別をなくす」ことに必要なのだろうか。
差別の問題は対話での解決は難しいかもしれない。しかし、いわゆる「差別を受けたとされる側」と「差別をしたとされる側」が対話・仲裁のもとで問題を解決するのが基本姿勢ではないか。
今回の参議院議員選挙では「差別を受けたとされる側」の代表的存在ともなっている立憲民主党の有田芳生氏が全国比例で出馬している。「差別としたとされる側」が西村氏であるのならば両者が国会で話し合うのが問題解決への大きな道筋となるのではないだろうか。
西村氏はウトロ地区の問題についても「差別を受けたとされる側」への公金支出について「ウトロ住民に感謝の気持ちを述べてほしい」と語っている。西村氏側には対話の道があるはずだ。選挙の場に現れる「カウンター」の存在は、対話の道を閉ざしているのかもしれない。
(文=蔵持明/写真=宇治市役所前で演説する西村氏)
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